仕事の報酬は仕事

ちょっと前(2007年1月)に,文藝春秋1月号の記事「成果主義ソニーを破壊した」(天外伺朗 作家・ソニー元上席常務)を会社の先輩に読ませてもらいました。 その中で,こういうタイトルの章がありました。

「仕事の報酬は仕事」


ソニー創業者の井深氏は「仕事の報酬は仕事」が口癖だったそうです。いい仕事をしたら,次にもっといい仕事,おもしろい仕事ができる。

現在,成果主義の導入により,ソニー社員は仕事に対するモチベーションを金銭的報酬にしか見出せなくなったそうです。確かに,目の前にニンジンをぶら下げられたからといって,誰しもが仕事をするものではないのでしょうね。 チクセントミハイ氏(よく知りませんが)らの研究によると,外発的動機(金銭的報酬から生まれる)が強くなれば内発的な動機が抑圧されることが分かっているそうです。

目標に対する達成度を計測するとなると,みんな達成できそうな低い目標を掲げてしまう。ひどい場合は自分の成果/評価ばかり気にするようになってしまう。

一方,ソニー創業者の井深氏は「仕事の報酬は仕事」が口癖だったそうです。

「仕事の報酬は仕事」というシステム,私にはかなり魅力的に写ります。実際,自分の評価についてほとんど気にしてません。気にしてたらやってられない,というのが本音だし,本質的な仕事に注力できないと思うんです。時には,じっくりと勉強/調査が必要なフェーズがあって,成果がでない時期もあると思います。でも,成果を気にしていると,その重要な勉強/調査がおろそかになってしまって,後々に響いてしまうかもしれません。

いい仕事をすれば昇進,というのは別に良いと思いますが,昇進の道がマネージャのみ,となるとどうかな,と思います。マネージャの仕事がおもしろいと思う人であれば「仕事の報酬は仕事」になりますが,そうでない人にとってはそうならないと思います。

ちなみに,米国の大学教授である友人は,「両方満たすべきだ」と力説されていました。つまり,面白い仕事を通じて自分の知的好奇心を満たしつつ,しかも見合った金銭的報酬を受け取る。

宇宙旅行に行ったマイクロソフト元社員を思い出すと,「両方満たしている」人がいるのでしょうね。私もそうなりたいものです。